黄花崗七十二烈士陵園

1911年4月27日(旧暦3月29日)の三二九起義で犠牲になった72人を追悼するためにつくられた。

1911年4月黄興率いる革命党員は,広州で大規模な武装蜂起を行ったが,失敗した。その先頭で革命党員が100名あまりが死亡。
しかし,72人の死体のみ回収されただけだった。この遺体を葬られた場所には石を積み上げたピラミッドのような墓がつくられた。上には松明をかかげた
女神の像がある。

中国同盟会は1905年孫文が率いる興中会,黄興が率いる華興会などが合体し東京で結成された革命団体。

1段目(左)活気長存碑坊と(右)赤門
2段目七十二烈士の墓
3段目(左)トウ仲元帥の墓と(右)龍柱

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黄興 
湖南出身 日本へ留学し,嘉納治五郎が創設した「宏文書院」で学ぶ。
1905年孫文と出会い,中国同盟会を結成。
1911年黄花崗挙兵するが失敗。香港へ逃亡。
1912年孫文が臨時大統領を務めるもとで,陸軍総長兼参謀長になる。
1874年比較的裕福な家庭に生まれる
1914年10月31日上海で病死


黄花崗七十二烈士陵園

広州市先烈中路79号
電話 8732-6604
   3758-8321(正門チケット売り場)
ホームページ
e-mail hhg72martyrs@tom.com


管理人が調べた資料なので,お間違いに気づかれた方は教えてくださいまし。m(__)m


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